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Case

導入事例

【私の経歴】

常に大事にしてきた「何事も愚直に取り組む」ということ
愚直に学んだ英語はグローバル経営への深い造詣につながる

石古茂 氏(元 アデランス代表取締役副社長)

Contents 01

インタビュー概要

ジェムコ日本経営とゆかりのある方の半生を紐解く「私の経歴」。今回は、石古茂 氏(元 アデランス代表取締役副社長)にご登場いただきます。前半では、幼少期から、モービル石油での新入社員時代に受けた“カルチャーショック”などについてお話しをしていただいました。

<略歴>
1978年4月 :モービル石油(現エクソン・モービル)入社
1998年12月:資生堂ビューティカンパニー取締役経営管理本部長
2001年6月 :日本ポラロイド取締役業務管理本部長
2004年8月 :メディアッティ・コミュニケーションズ(現J:com)最高財務責任者(CFO)
2006年4月 :ナイガイ社外取締役
2007年4月 :ナイガイ代表取締役専務
2009年5月 :アデランス取締役副社長
2010年5月 :アデランス副社長兼最高財務責任者(CFO)
2012年5月 :アデランス代表取締役副社長(COO)
2016年5月 :アデランス任期満了により退任

Contents 02

幼少期~高校時代
自然豊かな場所でのんびりと
中学・高校時代は剣道に熱中

出身は兵庫県西脇市。自然豊かな場所でのんびりとした生活を送っていました。中学・高校時代に熱中していたのは、剣道。剣道部で主将も務めていたこともあり「高3の夏合宿までは頑張ろう」と稽古に励んでいました。ですから、勉強のほうは高校3年の秋になって「まずいな」と(笑)。そこから真剣に取り組み、慶応義塾大学に進学しました。商学部に進んだのは、実家が商売をしていたことも影響しています。

Contents 03

大学時代
多くのことを学んだゼミ
特に厳しかった「時間管理」

大学ではゼミで学んだことが忘れられない思い出です。当時、商学部には会計学の世界で大変有名な先生がいらっしゃったんです。ぜひその先生から学んでみたいと思い、会計学のゼミを選択しました。ただ、想像以上に厳しい先生で。特に厳しかったのが、時間管理に関すること。様々な場面において、1分1秒、遅れたりすることが許されない感じで(笑)。厳しく指導していただいたことを覚えています。そういう意味では、会計学のことにとどまらず、人生論に及ぶまで鍛えていただきましたし、社会に出て役に立ったことは多かったと思います。先生がお亡くなりになって数十年たちますが、毎年ゼミ生が100人近く集まるんですよね。厳しい一方で、それだけ慕われている先生だったんだと思います。

先生のご指導のおかげもあり、もっと会計学を学びたいという思いが芽生えましたので大学院に進みました。卒業するころは第二次石油ショックの後だったという事もありまして、就職環境は厳しかったことを覚えています。そんな中で縁があって、モービル石油に入社し、社会人生活がスタートしました。

「当時は文系の大学院卒は少なかったですね」と石古 氏

Contents 04

新入社員時代
2つのカルチャーショック
「外資系に入ったのは間違い⁈」

新入社員としてモービル石油の財務部資金課に所属になり、大変だったことが2つありました。

1つは、いきなり大きな額の資金運用を任されたこと。新入社員ですから「資金不足になったらどうしよう」とひやひやしていました。会社から全社員への要請で、2週間連続の夏休みを取った時には、毎日休んだ気にならないくらい緊張感がありました(笑)。ただ、よかったのは「お金の動きはビジネスの動きの逆」ということを身を持って体験させてもらえたこと。お金の動きをずっとみていると、会社で何が起こっているのかわかるようになってきます。

もう1つはコミュニケーション。外資系ということもあり、英語を使う機会が多くありました。私はもともと英語が得意ではなかったので、よく「みんなが言っていることが分からない」ということが起こるわけです。みんなが楽しそうにしていても「なんで笑っているのかわからない」。先輩に「何が今、面白かったんですか?」とか聞くような毎日でした。みんなでこういうジョークを言い合っていた、というようなことを後から解説されても、もう面白くないですよね(笑)

そういう環境の中で、「会社でキャリアを積むためには英語を学ぶことが重要」だと考えるようになりました。通勤時はジャパンタイムズを読むようにし、テレビやラジオで英語を聞いたりして勉強しました。モチベーションを保つためにも、まずは「社内の留学制度に合格する」ということを目標に掲げました。
同じ制度で留学した先輩から「忙しくても毎回TOEFLとGMATを受け続けるのがいい」とアドバイスをいただき、これらのテストは毎回受けました。不思議なものでスコアが徐々によくなっていったんですよね。愚直に取り組むことは大切だと感じました。そのアドバイスのおかげもありまして、留学試験に無事合格。シアトルのワシントン大学経営大学院で学ばせていただき、MBAを取得しました。その後、ワシントン州で米国公認会計士(CPA)のライセンスも取得しました。

財務部のあとはさまざまな業務を経験させてもらいました。当時は会社としては「スペシャリストではなく、ゼネラリストを育てる」という方針だったのだと思います。「将来、マネジメントになるには、営業も経験しないといけない」ということで大阪の工業用製品販売部で潤滑油の営業をして以降は、さまざまな業務を経験、シンガポールにも赴任いたしました。

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