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Case

導入事例

【私の経歴】

人生の転機となった“2度のオイルショック”と
忘れられない東日本大震災からの復旧・復興<後編>

元JXエネルギー株式会社 取締役 副社長執行役員、JXホールディングス株式会社 取締役 黒﨑猛 氏

Contents 01

インタビュー概要

ジェムコ日本経営(以下、ジェムコ)とゆかりのある方の半生を紐解く「私の経歴」。今回は、元JXエネルギー株式会社 取締役 副社長執行役員、JXホールディングス株式会社 取締役の黒﨑 猛氏にお話をお伺いしています。後編では、ジェムコと取り組んだ改善活動や印象に残る仕事、要職を歴任してこられた黒﨑氏だからこそ仕事をするうえで日々心がけていることなどについてご紹介します。

黒﨑猛 氏

Contents 02

新人時代の出来事
その後の考え方の基礎になった
「ジェムコのコンサルティング」

新人時代の印象深い出来事として、ジェムコさんから受けたコンサルティングがあります。きっかけは1979年に起こった第二次オイルショック。原油価格の高騰により、全社的にコストの見直しを行う必要がでてきました。それまでも現場で改善活動に取り組んでいたのですが、それでは間に合わなくなっていたんですね。そこで、ジェムコさんにコンサルティングをお願いすることになりました。


プロジェクトチームをつくって取り組むことになり、エンジニアとして私も潤滑油のチームに参加することになりました。当初、自分なりに1割くらいは改善の余地があるのではないかと考えていました。しかし、会社から出された目標は「潤滑油で20%のコストダウン」。これは大変高いハードルです。


どのように改善していくかという中で、ジェムコさんから提案されたのは「SAVEプログラム(※)」。他社での実績もあるということで、導入することになりました。
(※)SAVEは、管理面における省エネルギー活動をサポートする技術。エネルギーロスの削減や省エネ機器の買い替えなどにとどまらず、管理面に対して、独自の技法で現状の詳細把握をより確実にし、消費の所在、浪費している所を明確にして改善していく手法

私がいたチームも含め3つのチームで、専任体制で半年強取り組むことになりました。朝から晩まで「省エネ」、そして夢の中でも「省エネ」。結構ハードでしたよ(笑)。


SAVEプログラムは、省エネのための手法を教えてくれる感じですね。「目的は何なのか?」というところから始めて、「そのためにはどういう機能が必要か?」と。20%の改善のために、「ロスがどれくらいあるのか」を検証し、ロスの積み上げを行い、ロスを生まないための解決策や代替案をつくっていきました。現場にも協力をしてもらい「投資がなくても今すぐできることはないか」も探りました。


それらの積み重ねで、プロジェクト終了時には20%クリアを達成。達成感はもちろん、仕事はチームプレーであるということを強く実感した出来事です。また、SAVEプログラムで学んだ「目的は何なのか?」ということから考える習慣は、その後の社会人生活において大変役に立ちました。「本質を見る目」と言いましょうか、モノの見方とか考え方について学ぶことができたインパクトのあるプログラムだったと思います。

Contents 03

影響を受けた言葉
難題にも慌てない私を育ててくれた「2つの言葉」

2つあるのですが、ひとつは「Sit back and think about it」。MIT留学中に熱力学の先生がよく言われていた言葉です。難しい問題に出くわしても、慌てるのではなく落ち着いて考えてみれば、必ず糸口は見えてくるというわけです。


2つ目は、「失意泰然」。1990年に愛知県の知多製油所へ転勤となり、自社開発の「商業化プラントの設計・建設・運転」のプロジェクトマネージャーに指名されました。商業装置を設計する時、通常は、ビーカースケールから10倍、次にまた10倍というように10倍きざみを繰り返してコマーシャルスケールへと移行するわけですが、この時は最終段階で一気に100倍のスケールにすることが要求されました。大変な苦労をしましたが、何とか実生産にこぎつけました。ただ、苦労してつくった製品が全く売れない。結局事業は中止になりました。技術的によくても、事業がつぶれては仕方がない。その時に、のちに社長になられた松下功夫さんからこの言葉をかけていただきました。


この2つの言葉があるので、あがいたり、もがいたりするようなことがあっても、最善を尽くすことにしよう、と思えるようになりました。そうしていると、運も味方をしてくれます。「人事を尽くして天命を待つ」ということを基本に動くようになりました。

Contents 04

印象に残る仕事
1年弱で成し遂げた、仙台製油所の
「東日本大震災からの早期の復旧・復興」

2011年3月の東日本大震災での被災からの早期の復旧・復興です。震災により、東日本の3つの製油所が操業できなくなりました。特に仙台製油所の被害が大きく、3メートルを超える津波に襲われ、水没や火災が起こりました。東北地方にはほかの会社の製油所はなく、弊社の仙台製油所が唯一。当時はまだ寒い時期でしたし、早期復興のためにもガソリンや灯油を早く安定供給することは社会的な使命でもありました。


私が仙台に入ったのは3月末。変わり果てた現場を見て回り、早急に機能再開するために、その日のうちに指示を出しました。例えば、タンクの中に石油製品の在庫はあるので、まずはあるものを出荷できないか検討しました。ただ、出荷のためには様々な設備が必要。それらが浸水したり、火災で焼けたりしていたので、早急に仮設の出荷設備を作る必要があるが、一から作っていては1年程度かかる…。それでは間に合わないということで、国内の他の油槽所の陸上出荷設備を移設し、時間を大幅に短縮させることにしました。それにより5月の連休には仮設設備からの出荷が可能になりました。これは通常ではありえないスピードでした。次に、油槽所としての早期機能回復です。他の製油所から石油製品をタンカーで受け入れて、タンクに一旦貯めてから出荷を行うということです。そもそも仙台製油所は1日に1000台のタンクローリーで出荷をしていましたので、それだけのことをしていくことが重要と思っていました。


このほかにも様々な対応を行いながら、1年かからずに、すべての機能について操業再開できました。これだけスピード感をもってできたことは、社員はもちろん、協力会社の方々、地元行政からの支援などがあって実現できたことであり、とても感謝をしています。 また、結果論ですが、社員が一致団結するいい機会になりました。新日石と新日鉱が経営統合して新しくJXエネルギーができたのが2010年7月。震災が起きたときは、出身会社やカルチャーの違いなどで会社が一つになり切れていない印象がありました。そんな中で、津波で塩をかぶった機器を全国各地の製油所で手分けをして分解清掃してもらったり、人員の応援をお願いしたりしました。仙台の復興のために、それぞれが全力を尽くした結果、会社全体が一つになったことを実感しました。

Contents 05

要職について常に意識してきたこと
「現場」・「変化への対応」と「全体最適」、
それを成し遂げるための“3拍子”

常に意識していたことが3つあります。


まず「現場」です。人と設備と情報が複雑に絡み合い、生き物のように毎日変わるのが「現場」。付加価値を上げる拠点であるとともに、大量の危険物や高圧ガスを取り扱っていますので安全が最優先です。


2つ目は「変化への対応」です。いろいろな事業環境の変化がありますが、自分たちが変化を認識したときには、実態はそれよりももっと変化してしまっているということはよくあります。スピードが欠かせません。


そして「全体最適」。会社が大きくなっていくとどうしても縦割り、内向きになりがちです。「全体としてどうなのか」ということを常に意識していました。


これらのことは、言葉でいうのは簡単ですが、実行するのは難しい。ですから、「やったこと」「わかったこと」「次やること」という私なりの3拍子の行動基準を設けていました。中長期での対応にはPDCAという4拍子も効果的と思いますが、今すぐやらないといけないことについては4拍子では難しいこともある。なので、私は4拍子より3拍子(笑)。スピード感をもって行動することを心掛けています。実行しないと、何の成果にもなりませんからね。

Contents 06

これからのこと
社会とのかかわりを大切に、気持ちは「融通無碍」で

社会との関わりは大切にしていたいですね。趣味は下手なゴルフぐらいですが(笑)、趣味や仕事は続けていきたいと思っています。


考え方としては「融通無碍」。これまでの知見に固執することなく、これからも気持ちは常に若々しくありたいと思っています。

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